『やっちゃいけないオチ』は何か
夢オチ、宇宙人オチはよく『やっちゃいけないオチ』と言われる代表格かと思います。
これらを含め、『やっちゃいけないオチ』として挙げられるオチには1点共通するところがあり、それは、受け手が期待していた何かを、作者のご都合主義で何でもアリな世界観が一蹴してしまうことです。
『やっちゃいけないオチ』は何故やっちゃいけないのか
上で述べたように、受け手が期待していた何かを一蹴し、失望させるからでしょう。
逆を言えば、『やっちゃいけないオチ』の典型とされる夢オチや宇宙人オチでも許される場合があるはずで、例えば受け手が期待していた何かを一蹴さえしなければ良いと私は考えています。
『やっちゃいけないオチ』を『やってもいいオチ』に転換する
その1:先にオチばらし
受け手が期待していた何かを一蹴することが悪ならば、期待させなければ受け手は失望しないでしょうから、先にオチをばらしてしまえば良いと言えるはずです。ばらすタイミングは物語の冒頭でも良いし、受け手にオチの匂いを徐々に嗅がせても良く、要は最後の最後で失望させなければ良いのです。
ただしこれには1点問題があって、作者はオチの意外性で勝負ができなくなります。つまり、オチありきの勝負になるため、過程や扱うネタのクォリティがより求められます。
その2:オチを重ねる
オチを重ねて、異なるオチを造成する手法はよく見られます。ホラー作品によく見られる「夢は夢ではなく、現実だった」や、SF作品によく見られる「宇宙人は宇宙人ではなく、かつての地球人だった」は、それぞれが立派なオチと言えます。これらのオチの特徴は、ストーリー展開で醸されてきた雰囲気を増幅させることにあります。
例えば、「主人公は眼がたくさんある化け物に毎晩追われ、その正体は自分の親だった。化け物に襲われる直前にベッドから落ちて目が覚め、夢だったことに主人公は安堵する。自分の部屋の扉を叩く音がして、扉を開けるとそこには自分の親が立っている。主人公はなお安心するが、主人公の見えていない親の首には無数の眼が蠢いていた…。」といった具合です。この場合、ただ単に化け物に襲われるだけのストーリーだけなら恐怖感は大したことないものの、夢は夢で無かったということで恐怖感を増幅できるのです。
その3:オチを転換する
オチを重ねて異なるオチを造成するのが「夢は夢ではなく、現実だった」でしたが、さらにひねったものに「夢は夢ではなく、異なる現実だった」というオチがあります。この異なる現実が読者にとってわくわくする世界であればあるほど、ストーリーに魅力が増し、オチも一層引き立ちます。
いわゆる異世界ネタというもので、近年のアニメや小説界隈で、オチではなく物語の導入としてよく見かけます。
その4:ナンセンスさで煙に巻く
受け手が期待していた何かに失望することがくだらなくどうでもいいことと思わせることも、1つの手法と言えます。オチが夢であること、宇宙人の仕業であることがナンセンスであることが逆に作品の魅力であれば良いのです。まあ、その魅力を簡単につくれるとは思いませんが…。
また、この類いの作品は大きく2分されるように思います。1つはナンセンスすぎて大衆に受けない場合。もう1つはナンセンスさ以外のパワーがとても強い場合です。